2007年8月24日金曜日

HEROES GALLEYができました!

ヒーローズのトップページにスライドができました!
本当は、もっとかっこよいものを作りたいなあと思っていたのですが、ソフトがなく、なんとかならないかと今日いろいろやってみました。

ヒーローズのホームページのアクセス数がここ数ヶ月でかなり増えていて、更新するのもまめに行おうと心に決めていたところなので、今日は、どうしてもスライドを作成したかったのです。

まだかっこいいイメージが頭の中にあるので、今度はそれに近づくように努力努力です。

昨日は、高校野球で、佐賀北高校が初優勝!公立の進学校でもあるようですが、日々の努力を重ね、一試合一試合謙虚な姿勢で、しかし自分自身を信じぬき、チーム全員が同じベクトルで進んでいった勝利なのかなと感じ、勇気をもらいました。

開響祭まであと1ヶ月になりました。今も白石昇央代表はじめメンバーは、企業協賛、ポスター作成、出演者予定などに勇気と行動を示してくれている。

生活者主体で一人ひとりが輝ける場作り、勇気と行動を体現できる場になれるよう、努力しなければ。
メンバーの皆様と未来へつながるよう進もう!

今日は、決意の日になりました。

2007年8月15日水曜日

湯浅譲二先生のお話から。

お盆休みの3日間は、ヒーローズの作業を進めております。そんな時、大量の書類に目がいってしまい、常に整理していないとどれが大切なのか分からなくなってしまい、ちょっと時間がとられてしまいました。

15日は、終戦記念日です。湯浅先生からお聞きしたお話を思い出しておりました。

湯浅先生は、
「戦争の頃、郡山の保土ヶ谷化学工場へ学生動員されていて、この工場は空襲にあったのだけど、自分は、ちょうど夜勤だったため工場へは行っていなかったので、空襲にはあわなかった。しかし、同級生6名が亡くなった。生き残った者は、工場の後始末…、空襲で亡くなった方の体は粉々になり、瓦礫に肉片があり、それを割り箸でとり、集めていたのです。病院にも次々人が運ばれてきて、その様々な悲惨な死を見てきたのです。これが戦争なのです。

戦後、今まで軍国主義で指導してきた人が指針を失い、挫折した。今までの軍国主義の価値観が崩壊した。
大人を信頼できない状態で、自分で考えなければならない状態であった」と話されていました。

話は続くのですが。

磐梯熱海に疎開されて、いろんなものを食べた話もお聞きしました。
「えー、そんなものまで召し上がったのですか?」とびっくりしていたら、

湯浅先生は、「私は、実験工房ですから、何でもやってみるんですよ。」と。

先生から人生哲学を学ばせていただいております。

2007年8月9日木曜日

9月30日湯浅譲二先生講演会を金透小学校で!

9月30日の湯浅譲二先生の講演会は、湯浅先生の出身校である金透小学校(福島県郡山市)で開催する予定になりました。湯浅先生は、金透小学校の「金透賛歌」を作曲されています。
いつも、湯浅先生から、金透小学校時代のお話をお聞きし、戦争の時、出兵する兵隊さんを小学生が演奏をして見送っていたとお聞きしておりました。先生も金透小学校時代演奏されていたと。
湯浅譲二先生の「人生の半ば ― 音楽の開かれた地平へ」(慶應義塾大学出版会)の中から、

「音楽が、作曲家のコスモロジーの反映としてある、と思っている私にとって、私の原風景は、その大部分が、私の生まれ育った郡山市とその近隣の風土性からから切り放ちがたい関係にある。具体的には、阿武隈川流域に広がる安積平野の、四季折々に移ろう様相であり、時空である。~中略~ 私にとって故郷としての<みちのく>は、奥羽山脈、阿武隈山地をその両端に見はるかす、広大な阿武隈川流域の安積平野や、磐梯山を水鏡に映し出す猪苗代湖の開かれた時空としてある。
 音楽が、楽譜の中にあるのではなく、音響運動の記憶とその観念連合のイメージとして、人間の心の中にのみ存在するように、いま、私にとってのみちのくは、私の原風景として、私の音楽にそのアウラを放射しているといえるだろう。
 それが、音楽というグローバルな人類の営みの中で、私に初心を貫くアイデンティティを与えているのである。」 とある。

湯浅先生から幼少時代のお話をよくお聞きします。寒いお部屋でオルガンをずっと弾いていたり、お父様が、オペラを好きで、湯浅先生もよく聞いていらしたと。

今回、湯浅先生が金透小学校にいらして、講演していただける、本当に皆様に感謝です。

湯浅先生は、8月17日から山口県の秋吉台国際芸術村で「現代音楽セミナー&フェスティバル 秋吉台の夏2007」に行かれるそうです。

8月12日は湯浅先生の誕生日です。先生、おめでとうございます。